起業を目指す皆さまへ~畑違いの僕らが学童保育で起業したリアル①~

Picture of Sanshiro Nakano

こんにちは!トライエッジ代表の中野です。

2011年9月に会社を立ち上げてから、もうすぐ13期目が終わります。
おかげさまで、なんとか14期目も無事に迎えられそうです。
ここまで続けてこられたのは、関係者の皆さん、そして一緒に働いてくれているメンバーのおかげです。
心から、ありがとうございます。


さて最近、「トライエッジって、創業から順調だったんですか?」と聞かれることがあります。
結論から言うと、まったくそんなことはありません
 「ああ、もうこれで終わりかな…」と思った瞬間が、正直何度もありました。


終わってしまえばそれまでなんですが、危機に直面したその当時は本当に生きている心地がしなかったです… 今でも思いますが、よくぞ乗り越えたなぁ…
非常につらかった時期もありましたが、その中で多くの学びを得たことも事実です。


トライエッジは創業時に学童保育事業からスタートし、その後ベビーシッター事業、マーケティング支援事業へと変遷していきます。
これは自慢話ではなく、“残しておきたい記録”として。
そして、これから起業を考えている誰かの参考になればという思いで、 僕たちの創業ストーリーを綴ってみることにしました!


将来起業をしようと思っている方は、ぜひとも反面教師にしてください。
経営を学ぶ方には、バッドケースのケーススタディとしてご活用いただければと…(笑)

nakano_profile

 

 
 
 
執筆者:中野 三四郎 人材派遣会社に新卒入社後、一貫してマーケティング部門に従事。営業戦略の立案、SFA / CRMの企画開発・運用、顧客分析などを行う。 その後、M&Aコンサルファームやメーカーの営業企画などを経て、株式会社トライエッジを設立。
青山学院大学 国際マネジメント研究科 卒
著書:「営業は仕組みで9割決まる-「仕組み」で常勝営業チームをつくる方法 Udemyで3千名の受講生にマーケティングの入門講座を提供
※このブログは、以前別サイトに載せていた内容をバージョンアップしたものです。

創業ストーリー①|僕が会社をつくろうと思った理由

正直なところ、僕はもともと「起業したい」と考えていたわけではありません。
一緒に経営をしている齊藤は新卒の頃から「いつか経営者になりたいんです」とキラキラ語っていましたが、僕は「なんて物好きな…苦労したい人もいるもんだな」と他人事のように思っていました。


そんな僕の考えが変わる転機が、2007年に訪れます。
新卒からずっと勤めていた人材派遣の会社が、ある日突然、別の会社に買収されました。
業績も順調、社内での評価も悪くない。給料もよかった。
このまま部門長、もしかしたら将来的には役員に…くらいに考えていました。

 

そんな矢先の出来事。まさに青天の霹靂でした。
気づいたら、買収元のオーナーが設立した新会社に「転籍」という形で移され、自分の意思とは無関係に、全く別の会社の社員になっていました。
この時、強烈に思ったのが「会社員である限り、会社の都合で人生は動いてしまう」という現実でした。

 

転職先の会社には、あまり愛着が持てませんでした。
業界も違うし、周囲との温度差にも違和感がある。もやもやした気持ちを抱えていました。

こんな気持ちが湧き上がったのは必然だったのかもしれません。

「あのときの職場が、一番心地よかったな」
「あんなふうに、毎日が面白いと思える場所はもう他にないかもしれない」
だったら、「自分で作ろう」と。

 

いわゆる「社会課題を解決したい」とか「テクノロジーで世界を変えたい」といった立派な志ではありませんでした。
ただ、「居心地がよくて、信頼できる仲間と一緒に働ける場所をつくりたい」という、個人的で感情的な原点でした。
つまり、「何をやるか」より「誰と働くか」で会社をつくりたかったんです。
ちなみによく「昔からマーケティングをやりたかったんですか?」と聞かれますが、事業ドメインが固まったのは創業から4年以上経ってからです(笑)。

 

実際、最初は農業でもたこ焼き屋でも何でもよかった。
とにかく「会社をつくる」という決意だけが先にあったんです。

仲間と、人生をかけて走り出す

起業を決めたとき、まず最初にやったのは「仲間集め」でした。
かつて通っていたビジネススクール(青学MBA)で、あるベンチャーキャピタルの方が言っていた言葉が印象に残っていたのです。


「仲間を集められない経営者に、成長はない」

 

この言葉をずっと覚えており、「起業するなら絶対に仲間とやる」と決めていました。
起業は人生を共に背負うということ。
簡単にはいかないと覚悟していましたが、声をかけてみたら──
意外なことに、あっさりメンバーが集まりました。


当時の仕事ぶりを見てくれていたこともあり、信頼してくれていたのかもしれません。
「よし、これで会社ができる!」と、あのときの高揚感は今でも覚えています。
繰り返しにはなりますが、この時点でまだ何をやるかは決まっていませんでした(笑)。

 

まず仲間が集まり、それから「何をするか」を考え始めました。
今思えば、自分たちの経験を活かせる領域で勝負するのが一番よかったのでしょうが、当時はとにかく「おもしろいことをしたい」「社会に役立つことがしたい」という想いばかりが先走っていました。

そんな中、自然と注目が集まったのが保育の分野でした。
当時から待機児童問題は深刻で、世間の関心も高まる一方。
「じゃあ保育園をやろう」と業界リサーチを始めたのですが、そこで分かったのは保育園事業の参入障壁の高さと運営の難しさでした。
よく考えれば我々は保育士の資格を誰も持っておらず、人材確保がかなり大変であることに加え、保育施設を作ることは様々な国の要件があり、多額のコストがかかることが判明しました。

良くも悪くも保育園にこだわりがあるわけではないため、これは難しいとすぐに方向転換。
そこで目をつけたのが、「学童保育」でした。

当時、民間による学童保育が新たなビジネスとして注目され始めていて、公設に不満を持つ家庭に向けた高付加価値の学童保育施設が都心で次々に登場していたんです。

 

保育園よりも参入ハードルが低く、運営に専門資格も不要。
未来を担う子どもたちに「より充実した放課後を提供する」という社会貢献性の高い仕事。
そして、まだ出来たばかりの新しい領域の事業。考えるだけでわくわくしていました。

よし、この事業からスタートしよう。
意思を固め、いよいよ仲間と走り出しました。

しかし、この時、僕らはまだ気がついていませんでした。
「やりたいこと」と「やれること」は、まったく違う。

ここから、トライエッジのジェットコースターのような日々が幕を開けたのでした。

 

…ということで、創業ストーリー第1話はここまでです。

現在のトライエッジをご存じの方は、ギャップに驚かれたのではないでしょうか?(笑)
次回は、「どのように民間学童保育をはじめたのか?」そして「どんな壁にぶつかったのか?」をお話ししたいと思っています。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

IMG_0460学童の子どもとあやとりをする若き日の中野

 

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